☆
Soul Motivator
MIYUKI TAJIMA
元ダンサー
NYに10年在住後、2014年12月日本帰国
マインドの囚われをキネシオロジーを使って潜在意識から解放し
心からの笑顔溢れる人生へとガイドする
∞魂のモチベーター∞ 田島美由紀です。
ダンサーからNY移住へ
高校卒業後にダンサーとしてミュージカル、TV、 CM などに出演。
プロダンサーとして人生が開けてきたダンサー真っ盛りの時に
何の因果か、現実と出演する舞台の役どころがリンクする体験をしました。
現実生活では、実父の闘病から死を見送る過程があり
その時出演を控えていたミュージカルの舞台リハーサルでは、親が目の前で死に、
天に見送るというハイライトシーンの稽古真っ只という事が、同時に進行していました。
私は、死にゆく主人公の娘役でした。
現実の感情を感じてしまうと精神が保てなくり、そのハイライトシーンのリハーサルの最中に泣き崩れて
現場に迷惑をかけてしまった事がありました。それ以降、現場に迷惑をかける事を避けるために、
必死に感情を抑え込み、"演技" として、親の死の悲しみを演じる稽古を重ね、そのまま本番が始まりました。
実父の死後1ヶ月程、本当の感情を抑えて精神を保ちながら、舞台上では''親が目の前で死んで天に見送る''というシーンを
何度も何度も演じた事で、知らぬ間に精神のバランスを崩していました。
舞台が終わって改めて自分自身の時間を持てた時、感情が感じられないようになっていた事に気づいたのです。
同時にダンスが苦痛でしかなくなり、あれだけダンスに燃えていた私の世界から、情熱という心の炎が完全に消えてしまいました。
それまでの人生は、常にやりたい事があって、いつも情熱に溢れていて、
望みを叶えるために何をしたらいいのかもわかり、その為の努力もでき、夢が現実になるのは当然だと思っていました。
たとへ家族に反対されても、それを押し通す迷いの無い人生でした。
それが一転し、全く情熱も湧かず、ダンスができなくなってしまった自分は
この先どう生きていいのか?全く分からなくなってしまいました。
この体験により、私は「情熱的にやりたい事をやり、行動的で、活き活きと充実した人生」も
「やりたいことが分からない、どう生きていいのか分からない、無気力、無感動、絶望感に打ちひしがれた生きる価値の無い人生」
という感覚の挫折も味わいました。
これが人生の転機となり、「父の死を無駄にしない。人生いつ死んでも悔いの残らないように生きる!」と決めました。
ダンサー時代に憧れていたNY生活を目指す事を心の支えとし、NYの大学合格を機に2005年2月-NY移住しました。
NYで事件-ヒーリングに出会う
NYに移住し、憧れだったNY生活を始めた1−2年目頃に性被害に遭いました。
その事に関しての癒しと解放のプロセスはブログに書いておりますので
同じような悩みを抱えていっらしゃる方や興味のある方はそちらをお読み下さい⇨
犯人から身元を隠す為に、スーパーの袋に貴重品を詰めて夜逃げして数ヶ月ホームレスになったり
命の危険を感じながら不安定な生活をして過ごした時期がありました。
当時の事はショックすぎてあまり覚えておらず、ただ精神状態は普通じゃありませんでした。
常に''誰かに襲われることの恐れ'' ''身元が明らかになる事の恐れ’’ の感覚を持ち、ビクビクしていました。
(警察で母国に帰る事を勧められたのに、そんな状況でも頑なに日本には帰らなかった私です。)
NYに来て日本人という事で性被害に遭い、それ以降、性をキッカケにかなりの恐れが細胞に刻み込まれたんだ
というのは、今冷静に振り返ると見えた事実でした。
その事実に意識を向ける事すらもできない、物凄い恐れの状態だったので、もちろん誰にも言えず、
自分の心の中だけにずっとずっと閉じ込めていました。
その恐怖を自分の中に閉じ込めながら、表面上は普通を装ってNYでの大学生活を送り
真面目に学校へ行って勉強に励みました。
私は、一体どれ程の感情、感覚、思いを、これまで自分の中に押し込めて封印してきたのだろうか?
当時は、それらの感情を感じるに耐えうる器が無かったんだろうと、今冷静に振り返って思います。
人に心配や迷惑をかけてはいけないとか、何でも自分でやらなければいけないとか、こんな事言うのは恥ずかしいとか、
あらゆる思い込みから、自分よりも外側を気にして、
誰にも助けを求める事ができなかったのです。
私は、どんどん自分自身と分離してしまいました。
自分のアイデンティティーを失い
人生に迷い
自分の本当の声を無視しし続け
恐れの中生きていた私は
何が楽しいのか
何が好きなのか
何をしたいのか
どうしたらいいのか
自分の感覚がわかりませんでした。
あれ程情熱に溢れ、常にやりたい事に夢中だった過去と比較しては
失ったものが大きな事に思えました。
もう2度とダンスはできない。
そんな私には価値は無い。
日本で人に合わせる顔がない。
そんな思いで、日本で関わってきた人と連絡を取ることもなく
2度と日本に帰らないと決めて、NYで生活していました。
過去の自分と比較しては落ち込み
NYに来てまでパッとしない自分の人生と
体験した恐れに向き合い
なんとかして
今の自分を変えたい!
自分を、自分の人生を
あの頃の情熱に満ちた大好きな自分を
取り戻したい!
私の人生こんなもんじゃないはずだ!!!
自分自身に対する怒りのようなものが腹の底から湧き出てきました。
そう悩み続けた私に転機が訪れました。
言いたくなかったら伝える事無く癒す事ができるという
ヒーリングに出会ったのです。
私にとって、あまりにも''恐ろしすぎる過去''を話さなくてもいいんだ!と言うところに光を見出しました。
今まで誰にも言えなかった心の傷、恐れ、トラウマを、誰にも言わずにコッソリと(笑)癒せるかもしれない!
「元の情熱ある自分に戻れるのかもしれない!このトラウマを解放できるのかもしれない!」 と希望を持って
セッションを受ける行動に移したことが、私のヒーリングとの出会いです。

☆


いつからでも自分らしく輝ける

女性はその美しさを目一杯表現して
もっともっと幸せになっていい!
そう思ったのは、私 が
ヒーリングを通して、自分の心と身体の繋がりを取り戻し、自分自身との繋がりを取り戻し
精神的にも生活的にもボロボロの状態から抜け出せたからです。
様々な人生の辛い体験やハードな生活を体験してきましたが、そのお陰でヒーリングに出会う事ができました。
今までの人生で体験した、傷を癒すプロセスや、本当の自分と出会うプロセスそのもの全てが
私自身の人生を通して、必要な学びであり、必要な気づきがあり、成長することへと繋がっていました。
時に、それらの辛い体験をした被害者の自分はかわかわいそうだという''悲劇のヒロイン''を無意識で味わってる
受け入れ難い自分に出会ったり、自分の闇を見ては落ち込むことも、数え切れない程たくさんありました。
その全ての体験を通して、人生に起こることに意味を見いだし、見たい現実を選んで見ているのは誰でもなく私自身。
私がこの現実を創ってきたということへの、深い深い気づきを得られました。
また、私の頭では理解の域を超える様々な多次元的な影響や、高次元の存在のサポートがあることも体験しました。
多次元的な解放が、根本的な変容にこれ程までに根深く関わっているのか!と、驚くと共に深く身に染みたこと。
今までの気づきや癒しのプロセスでさへも、全てがセッションに活かされています。
私が今まで何も問題なく人生がスムーズに進んでいたら
こんな風に人に寄り添い、勇気付ける事はできなかったと思うと
今までの辛いと感じた体験すら愛おしく感じられるようになりました。
黒いトンネルを抜けると
新しい道に
繋がるようになっている
暗闇の中でこそ光が見える
そこを抜けて見えたものは
全ては元々光だったということ。
あらゆる潜在的な要因から、自分で闇を創り出したんだということ。
そして、それだけの闇を創造できる程の、もの凄い現実創造のパワーがあるんだということ。
誰もが、物凄い現実創造の無限のパワーがあるという事に改めて気づいたのでした。
そんな中で、私は、人をより警戒してしまう恐れの現実を体験したからこそ
安心して愛し愛される喜びを実現したい女性達をサポートしたいという思いが湧き上がりました。
いつからでも、幾つになっても、人生変えられる。
心からの笑顔を引き出し美しく光り輝いて存在する女性達を増やしたい。
安心して心からの笑顔で輝く女性達の先には
平和で安全な世界と
その先の子供達の笑顔に繋がります。
そんな幸せなエネルギーの循環の世界を創っていくことにエネルギーを注ぐ。
それが私のヒーリングへの想いでありミッションです。
★

人は自分の中に
いろいろな自分を何人も持っています。
中には受け入れがたい醜いと感じる自分もいるかもしれません。
でも、どんな性質のあなたであっても自分自身です。
すべて『大切なあなた』です。
見たくない自分
受け入れがたい自分でさえへも
ちゃんと見て 受け止めて
過去から積み重ねてきたこだわりや執着心を手放し
ありのままの自分を迎え入れた時
本当にあなたらしく
ありのままで安心して存在することができ
それが
☆本当のあなたで 輝く☆
だと私は感じています。
私は
自分自身を
見放すことなく
諦めることなく
幸せを選択する覚悟を決め
自分で人生を創造していく生き方をしようとする人達と
共に成長し
歩んでいきたいと思っています。








